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大奥(よしながふみ)吉宗編!大奥の改革や側室と跡継ぎについても解説!

よしながふみ原作の人気漫画「大奥」の1巻に登場する吉宗は徳川第8代将軍で、いろいろな改革をすすめた人物です。

「暴れん坊将軍」のモデルにもなり歴代将軍の中でも人気がある将軍。

赤面疱瘡が始まって80年以上経過したタイミングで将軍の座に就いた吉宗のふとした疑問で、春日の局から始まった大奥の謎は解けないままだったかもしれません。

大奥(よしながふみ)吉宗編のネタバレを含みつつ、吉宗が行った改革や側室と跡継ぎについてもまとめました。

大奥よしながふみ:吉宗編!大奥の改革や側室と跡継ぎ

第8代将軍徳川吉宗は本来であれば征夷大将軍の座に就くには遠い紀州徳川の三女でした。

吉宗は紀州徳川の三女

吉宗は紀州藩主徳川光貞の三女で、上に姉が2人いる他、次期将軍だろうと言われた尾張家4代当主吉通もいました。

*本名「信」

吉宗は江戸見学に連れられ綱吉と謁見した際気に入られ、綱吉の一字をもらって吉宗となりました。

このとき、領地ももらっているので結構気に入られています。

加納久通の謀で吉宗を将軍にする

吉宗には紀州時代からの側近久通がいます。

将軍の座から遠い存在だった信こと吉宗が第8代将軍になれたのは加納久通の暗躍があるから。

おっとりしたように見えてかなりの切れ者。しかも大胆で度胸も据わっています。

久通は幼少期から信こそが将軍にふさわしい人物と信じており、絶対に将軍になれると言い切っていました。

江戸城最後の出仕の日に久通自身の口から明かされますが、久通は信を将軍の座に据えるため、尾張の徳川吉通、吉宗の姉の徳川頼職、徳川綱教を殺害します。

そして第7代将軍家継の後見人でもあった間部詮房と月光院を陥れ追放。

久通は信を将軍にするため、邪魔な人間は次々と江戸城から追いやったのでした。

吉宗編のラストで、吉宗が自分を将軍に据えるために久通がやってきたことを問う2人の会話が名シーンですね!

吉宗が大奥で行った改革

吉宗はハッキリ・サッパリした性格で、さらに武芸にも秀でています。

  • 大奥の豪華絢爛から質素倹約へ
  • 美男・質素が出来ない役職たちをリストラ
  • 没日録を読んで国防力強化を奨励
  • 小石川療養所を設立し赤面疱瘡根絶に取り組み

質素倹約を好み、大奥に入ると豪華絢爛な着物を用意する者を考えが合わないという理由でリストラ。

そして美男3000人と言われた大奥の美男を集め暇を出しました。美男であれば町に戻っても引く手あまたで生活に困ることはないだろうとのことです。

子種になる男が持てあましているのはもったないということですね。

そして従来の夜伽の風習を嫌い、神出鬼没に現れ男たちに手を付けました。

水野裕之進はどうなった?

吉宗のご内証の方である水野裕之進は江戸の貧しい武家の息子。

幼馴染のお信が好きなのですが、身分違いなため結ばれるのは諦めていました。

そこへ裕之進に縁談が持ち上がったため、裕之進は意を決して大奥で奉公することにしました。

剣術の心得がある裕之進が大奥の道場を見学していたとき、御年寄の藤波に目をつけられ水野と名乗るようになります。

藤波は吉宗のご内証の方を探しており、水野(裕之進)をあてがおうとしたのでした。

ご内証の方は、未通の上様に閨の手ほどきをするための男で、未通であるため上様の体に傷をつけたとし、夜伽が終わると処刑されるのです。

吉宗は後にご内証の方の意味を知り、裕之進について隠密に調べさせます。

そして江戸に裕之進が添い遂げられなかった「お信」がいるとわかると、吉宗は表向きは水野は処刑で死亡としましたが、実は「町人の進吉」として生きるよう命じ、お信がまだ1人でいると伝え江戸に戻しました。

そのずっとあと、進吉は吉宗が没日録を読んだ後に考案した「町火消」になり活躍しています。

吉宗の側室は卯之吉(お須磨の方)

吉宗には3人の女子が誕生しています。

懐妊がわかると、「赤ん坊の父親はそなたじゃ」と言った感じで適当に父親を決めます。

御台になるのは政に口出しをしないようなおとなしい男にしているのです。

そうやって初めての懐妊時に父親だと宣言されたのはお目見え以下の卯之吉でした。

卯之吉はお須磨の方(深徳院)となっています。

吉宗の跡継ぎは長女家重

吉宗の3人の跡継ぎは家重(いえしげ)・宗武(むねたけ)・宗尹(むねただ)です。

家重は言語・排尿が困難であり、次女の宗武が次期将軍だろうと思われていました。

ところが吉宗は家重が障害があっても馬鹿ではないとして、跡継ぎは家重だと公表しました。

吉宗は隠居したのちも大御所様として、存在感がありましたので、実質吉宗が政を行っていたと言っても良いでしょう。

ただ、家重の側用人の田沼意次が素晴らしい人材だったため口出しする必要はなくなったと感じています。

吉宗で赤面疱瘡根絶に取り組み

吉宗が行った改革の1つに「国防力強化を奨励」がありました。

没日録を読んで、昔は男女比が同じだったことを知り、将軍や大名、家業を継ぐ者が男だったことを知ります。

吉宗は春日の局が女だったと初めて知り、男女が逆転していたことを知ったのでした。

吉宗は鎖国を取りやめ開国を考えていたのですが、このまま開国をしてしまうと外国に攻め入られ女ばかりでは滅びてしまうと危機感を感じたのです。

そのため男子を鍛え、男子を残し増やすために小石川療養所を設立しました。

そして自身の寿命が近づくと田沼意次に赤面疱瘡根絶を託し58歳で死亡しました。

まとめ:大奥(よしながふみ)吉宗編のネタバレ!大奥の改革や側室と跡継ぎについても

男女逆転大奥の吉宗編についてまとめました。(ネタバレ含む)

  • 吉宗は紀州徳川の三女で本名は信。
  • 綱吉から一字もらって吉宗
  • 加納久通の謀で第8代将軍になった
  • 吉宗は没日録を読んで男子を減らさないように赤面疱瘡根絶に取り掛かる
  • 質素倹約を貫き、小石川療養所を設置するなど大奥で多くの改革を行った
  • 吉宗の側室は適当に決めた卯之吉で長女は家重

 

吉宗編は漫画の4巻から読める!

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