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映画「新解釈・三國志」のメイン舞台「赤壁の戦い」をザックリわかりやすく解説!

映画「新解釈・三國志」が12月11日に公開されます。

公式サイトには、中華統一を目指す「魏・蜀・呉」の三国の戦いである「赤壁の戦い」に突入していく・・・とあります。

「赤壁の戦い」って?

登場人物が多いうえに、土地勘がないので混乱してしまう三國志。

映画「新解釈・三國志」を見るには赤壁の戦いをザックリと知っておいた方が、映画の内容を理解しやすいと思います。

赤壁の戦いを一言でいうと、曹操軍80万と孫権・玄徳軍3万という大差の戦い。

だけど軍師の作戦が素晴らしくて、少ない兵士の数でも大軍に勝つことが出来たよってことです。

映画「新解釈三國志」のメイン舞台赤壁の戦い

208年の赤壁の戦いに至るまでに、中国ではいろんな事がありました。

184年ごろに起きた黄巾の乱をきっかけに、そこから野心を持った武将たちが我こそが中華統一をするんだ!と陣地の奪い合いをします。

赤壁の戦いまでの24年間、乱世の中で生き残って力を蓄えたのは曹操軍です。

この頃、目立っていた武将は呉の国の孫権といまだ拠点が定まらない玄徳軍です。

曹操軍は北部統一のあと南部を狙う

中華北部を制圧した曹操は、次は南部を制圧するつもりで兵を立ち上げます。

南部を責めるのに邪魔なのが、荊州の劉表から新野城を借りている劉備玄徳です。

曹操という人物は、軍事力と統率力に優れていて、赤壁の戦いの頃には兵士の数が80万と言われていました。

曹操軍が攻め込んでくる情報をキャッチした玄徳は、諸葛孔明の策によって曹操軍を追い払うことに成功します。

新野城に戻ると、玄徳が戦に出ている間に荊州の劉表が亡くなっており、玄徳軍は劉表の息子に追い出されました。

曹操軍の追撃から、難民と一緒に逃げる玄徳軍です。

赤壁の戦いの前哨戦「長坂の戦い」

赤壁の戦いの前哨戦のような感じで、長坂の戦いというのがあります。

劉備玄徳軍と曹操軍の戦いです。

劉表の息子に裏切られ、新たな拠点を探しているときに曹操軍に追撃される劉備玄徳軍。

張飛の作戦で長坂橋を焼き落とし、曹操軍の追撃から時間稼ぎをします。

難民たちも一緒に行動しているため、思うように身動きがとれず逃げるのが精一杯なのです。

この長坂の戦いで重傷を負った玄徳の妻が亡くなってしまいます。

赤壁の戦いは魏の国と蜀・呉の国との戦争

玄徳軍の軍師である諸葛孔明は、呉の国と曹操を戦わせようとします。

玄徳軍と呉の国が友好を結んで、曹操軍と呉の国、南北の両大国を戦わせることで

  • 曹操軍が負ければ、荊州を奪還することが出来る
  • 呉の国が負ければ、江南の地を取ることができる
  • どちらが負けても天下の三分の一は劉備玄徳の手に入れることができる

というもの。

呉の国の孫権を口説いて曹操軍と戦う

呉の国は長江に沿って上海に至るまでの南岸の広大な流域を制圧しており、曹操と対抗するために長江を利用した水軍を築いていました。

玄徳を討ちたい曹操は、呉の国の孫権に同盟を結びたいと手紙を出します。

呉の国と曹操が手を組まれては勝ち目がない諸葛孔明は、呉の国の孫権を訪ねます。

このとき、孫権側も曹操と手を組むか断るかで議論していました。

呉の国の大臣である魯粛は、曹操と手を組んでしまうと孫権が曹操に追いやられてしまうと考え、曹操と手を組むのを反対です。

呉の大臣の魯粛と、諸葛孔明は共に孫権を訪れ、呉の国と玄徳軍が同盟を結び曹操軍を追い払おうと説得します。

赤壁の戦いは軍師「周瑜と諸葛孔明」の知恵比べ

諸葛孔明の説得に感銘した孫権は、呉の国の大都督(総司令官)周瑜の賛同があればOKだと言います。

周瑜の考えは、玄徳軍と手を組むのは反対です。

曹操と手を組み、玄徳を撃ち破ることで呉軍の実力を示せば、曹操も簡単に呉軍に手を出さないだろうとのこと。

呉の国の総司令官周瑜の考えを変える孔明

玄徳軍と同盟を結ばないと言われた孔明は、周瑜の考えを一旦褒めます。

曹操軍と組むのは国を守るという意味で正解!とか言って。

そして、曹操に気に入られるのであれば簡単な方法があると教えるのです。

曹操は江南の地にいると言われる「喬美人」に執心なので、その人を差し出せば大喜びで呉軍から手を引くのは間違いないと。

この「喬美人」は、周瑜の奥さんです。

「喬美人に執心」という言葉を聞いて怒り心頭の周瑜は、玄徳軍と一緒に曹操と戦うことを孫権に伝えます。

10万本の矢をゲット

曹操軍との戦いについて、周瑜は孔明に「矢が足りない。どうにかして10万本を手に入れたい」と相談します。

孔明は3日以内に10万本の矢を集める事を約束しました。

約束の3日目、霧が深い夜に孔明は船20隻にわら人形で作った兵士を乗せ曹操軍へ向かいます。

呉軍の船に気づいた曹操軍は、陸からバンバン弓矢で応戦。

すると、船20隻の両側面に曹操軍が放った矢が突き刺さって見事10万本の矢を手に入れることができました。

3日目に霧が深くなることは、天文も勉強した孔明には予測できたのです。

赤壁の戦いの勝因は火攻め作戦

10万本の矢を手に入れた孔明と、曹操軍との作戦を練る周瑜です。

2人の軍師はこの戦いには「火攻め」であることが有効であると確認します。

東南の風が吹いたときが決行のとき。

孔明は曹操軍に自身の息のかかった人物を送り込み、曹操軍に病人が多いのは船に不慣れなため船酔いが原因であると言います。

そして船の揺れを軽減させるためには船を鎖でつなぐこと。と進言します。

曹操軍は、鎖で船をつないでしまうと呉軍が火攻めできたら逃げ場がないと思いますが、この時期は東南の風が吹かないから大丈夫だと油断するのです。

孔明は天文を勉強していたので、風の向きが予測できたのです。

孔明の天気予報どおりに東南の風が吹き、曹操軍の船は火だるまになって敗戦になりました。

周瑜と諸葛孔明のレベルの違い

周瑜は諸葛孔明の口車に乗せられ、曹操軍と戦うことになったことに怒りがでました。

そして後日呉の国の脅威となるであろうと確信し、なんとか孔明を殺そうと「10万本の矢」を相談しました。

10万本の矢を手に入れることが出来なかったら、軍事違反だとかなんとか言って堂々と殺すことができると思ったのです。

そして赤壁の戦いの当日、周瑜が自分の首を狙っていると理解している孔明は、東南の風を吹かすためにお祈りをするとか言って祈祷台を設置。

周瑜は孔明が妖術で風を吹かしたと恐れ、兵士たちに孔明を殺せと指示します。

ですが時すでに遅く、孔明は玄徳軍の迎えの船で逃げることに成功しました。

諸葛孔明は、曹操軍と戦いながら周瑜とも戦っていたことになります。

兵法だけでなく、天文まで勉強していた諸葛孔明に周瑜は勝つことは出来ませんでした。

まとめ:映画「新解釈・三國志」のメイン舞台赤壁の戦い

映画「新解釈・三國志」のメイン場面である赤壁の戦いをザックリわかりやすくとは言っても、長くなってしまうのが三国志。

  • 赤壁の戦いに至るまでに長坂の戦いがある
  • 長坂の戦いで玄徳の妻が亡くなる
  • 諸葛孔明が孫権と周瑜を説き伏せて赤壁の戦いが始まる
  • 赤壁の戦いは呉の国・玄徳軍VS曹操軍
  • 軍師の策が素晴らしくて少ない兵士でも勝てた
  • 赤壁の戦いは軍師周瑜と諸葛孔明の戦いでもある
  • 周瑜と諸葛孔明にはレベルの差がある

映画「新解釈・三國志」の公式サイトやCMをみると、何やら笑える赤壁の戦いになっていそうです。

新解釈ということで、赤壁の戦いがどんな風に描かれているのか楽しみですね。

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