「青天を衝け」徳川慶喜の死因は史実と同じ?墓はどこにあるのかについて

NHK大河「青天を衝け」の徳川慶喜は徳川家最後の将軍です。

最後の将軍と聞くと何やら重い罰でも与えられて惨い死に方をするのではないだろうか、と心配になってしまいます。

徳川家最後の将軍である徳川慶喜の死因はなんだったのか、また慶喜のお墓はどこにあるのかについてまとめました。

青天を衝け:徳川慶喜の死因は?

徳川慶喜は無残な亡くなり方はしていないようです。

大政奉還の後の徳川慶喜

徳川慶喜は歴代の将軍とは違って、政治的な野心を持たず余生は趣味を楽しんで過ごしたそうです。

写真や狩猟、囲碁など多趣味だったようです。

静岡の人たちにも親しまれていたようですが、渋沢栄一など決まった人物としか会わなかったのだとか。

明治35年には公爵になり、貴族議員として35年ぶりに政治に携わるようになりました。

死因は風邪

徳川慶喜は77歳で死亡します。

死因は風邪で、急性肺炎を併発してのことです。

徳川家の将軍の中では歴代1位の長生きだそうです。

史実では感冒により死亡となっています。調べたところ感冒は風邪です。

徳川慶喜の墓はどこにあるのか

明治天皇から「江戸時代最後の将軍が長生きしたのはさすがだ」との声も頂いたようです。

徳川慶喜のお墓は歴代将軍とは違う谷中霊園

徳川家のお墓は歴代芝の増上寺、上野の寛永寺に葬られています。

ですが、自分の代で徳川将軍家を潰してしまったという肩身の狭さから、同じ墓に入りたくなかったそうです。

よって徳川慶喜の葬儀は神式で行われ、お墓は谷中霊園の円筒型のお墓に眠っています。

それは大政奉還後に自分に侯爵の地位を与えてくれた、明治天皇に対する感謝の気持ちでもあるようです。

徳川慶喜の葬儀はパレードのようだった

徳川慶喜は徳川家最後の将軍だということもあり、慶喜を見送る人で沿道はあふれていたそうです。

慶喜が亡くなったのは大正2年のことでしたが、江戸時代の最後の名残として人々は神妙な気持ちになり、沿道の家には慶喜を追悼する意味で榊や花が飾られてありました。

徳川慶喜のお墓は円筒型でもあるということから、徳川家としては異例づくめの最期だったようです。

まとめ:徳川慶喜の死因と墓はどこにあるのかについて

  • 徳川慶喜の死因は風邪により肺炎を併発して
  • 徳川慶喜の余生は静岡で趣味に没頭し、その後公爵になり貴族議員として政治に携わる
  • 徳川慶喜の葬儀は江戸時代最後の名残として、沿道に多くの人が集まった
  • 沿道にある家には花や榊が飾られ、歴代の徳川家の葬儀とは違っていた
  • 徳川慶喜のお墓は歴代将軍たちとは違い、谷中霊園の円筒型のお墓に眠っている
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