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キングダム昌文君は死亡した?首や王騎との関係についても

映画キングダムの序盤、政は異母弟の成蟜にクーデターを起こされ追われる身になっています。

信頼できるのは側近の昌文君だけ。

ところが躍起になって政と昌文君を探す成蟜の前に王騎が昌文君の首を持ってきました。

昌文君は死亡したのでしょうか。

首や王騎との関係についてもまとめました。

キングダム:昌文君は死亡した?

結論から言いますと、昌文君は死亡していません。3作目の運命の炎でも生きています!

昌文君は政に忠義を誓う大臣

昌文君は元は政の教育係で、政が信頼できる唯一の人物と言われています。

政が趙国から帰ったときに迎えに来ていた武官でしたが、政を守るために文官に転身。

弟の成蟜のクーデターの際は昌文君だけが味方でした。

ですので、昌文君は成蟜側からすると邪魔な存在のため狙われていたのです。

クーデターで王騎に首を斬られて死亡?

政は「罪人扱い」にされてしまったため、武官たちは政一派を追いかけていました。

王宮から逃げ出す際、政と昌文君は別ルートで行動し、ある場所で待ち合わせをしていたのです。

ところが王騎が成蟜がいる王宮へ昌文君の首を持ってきました。

王騎は成蟜の元に昌文君の首を差し出しましたが、顔が潰れていたため生きてる説が頭をよぎります。

昌文君は生きていた!

昌文君は生きていました!

政との待ち合わせに遅れてやってきました。

逃げてくる途中で「敵」である王騎に追われたとのこと。

結局のところ、昌文君が生きてるということは王騎は味方だったということでしょうか。

史実での昌文君の最期(死亡)

昌文君は生涯かけて始皇帝に仕えた忠臣。

史実の昌文君は秦王政21年(紀元前226年)、平輿にて死亡しているそうです。

政が秦国の王になってから約19年後といったところでしょうか。

既に趙も韓も秦によって滅亡しており、燕国の太子「丹」が始皇帝嬴政の暗殺を企てた年でした。

*信によって暗殺は阻止されています。

昌文君の死は戦ではなく老衰もしくは病死とされています。

中華統一は紀元前221年ですから、政の中華統一を見る前に死亡したことになりますね。

キングダム:昌文君の首や王騎との関係

王騎将軍が持って来た昌文君の首はダミーでした

昌文君の首は偽物

王騎が持って来た昌文君の首は偽物でした。

顔を潰していたのは昌文君ではなかったからだったのですね。

ラストで政が王騎に「天下の大将軍がくだらないことに首を突っ込むのか」と聞きます。

すると「くだらないから」と答え、戦は国内でするものではない中華でするものだと言いました。

原作ではあまりに可愛らしいじゃれ合いが続いていたので場を濁しにきただけと言っていました。

王騎は後々政を認めていますから、はなから成蟜はどうでもよかったのでしょう。

昌文君と王騎の関係

昌文君と王騎が過去に仕えていた大王は政の曽祖父である昭王でした。

一緒に戦に出たことがあり、ほぼ同じ時期(昌文君の方が早い)に武官になっています。

9年前、6将である摎が総大将として王騎と昌文君で馬陽を攻めたこともありました。

馬陽の戦いで摎は敵に倒されてしまったのですが、摎が王騎と結婚するはずだったことを知っています。

昌文君を追いかけてるときに、一方的にですが昔を懐かしむ会話をしていましたので、古き良き仲間という感じに見えます。

敵対関係ではありません。

なぜ昌文君を追いかけたのか

王騎は昌文君一行を追いかけはしましたが、昌文君に致命的な攻撃はしていません。

王騎が本気だったら昌文君だけでなく副官の壁も殺されていたでしょう。

「戦は国内でするものではない」と言っていたことから、昌文君の偽首を出すことで終わらせようと思っていたのではないでしょうか。

昌文君(政)を追い込んだというより王宮から脱出させ家族も守ったという感じですね。

その代わり昌文君の領地はもらったよ、という粋な計画だったのでしょう。

まとめ:キングダム昌文君は死亡した?首や王騎との関係についても

  • 異母弟の成蟜にクーデターを起こされ逃げる身となった政が信頼できるのは昌文君だけ
  • 政と昌文君の首を待つ成蟜の元に王騎が昌文君の首を持って現れた
  • 政と昌文君は逃亡先の待ち合わせ先で再会した(昌文君は生きてた!)
  • 昌文君の首は偽物で王騎がくだらない国内の争いに乗っかって遊んでいたと思われる
  • 王騎と昌文君の関係は過去に昭王に仕えていた将軍同士
  • 六将の摎を大将軍にして一緒に戦ったこともある関係

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