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逃げ上手の若君しょうかん(瘴奸)の最後は死亡?実在モデルについても

逃げ上手の若君に登場する瘴奸(しょうかん)は元・悪党を率いる頭。

3巻冒頭から登場しています。

時行との戦いで敗れ、そのまま消えてしまうキャラだと思っていましたが、なんと8巻まで出てきます。

途中から「悪」が消えてすっかり良い人になってしまった瘴奸の最後は死亡です。

瘴奸の死亡シーンと実在するモデルがいるのかについてもまとめました。

逃げ上手の若君:しょうかん(瘴奸)の最後は死亡?

瘴奸の最後は時行と吹雪に敗れて死亡です。

瘴奸は悪党の頭

瘴奸は元・悪党の頭で貞宗の命によって諏訪領の端を削り取っていました。

悪党とは

この時代の悪党とは、土地を失い野盗と化した武士たちや、税も納めず独立天国を築く武士たちのこと。賊の奔放さと武士の戦闘力を兼ね備えた集団で、戦闘経験も豊富で戦術も組織力もただの賊とは比較になりません。

元・悪党ですから集落を落とすのに村の民を殺してしまっても何とも思わず、元・悪党に道徳を期待する方が間違いだと言い、「南無阿弥陀仏」と言っとけば仏様がすべて罪をチャラにしてくれる、というとんでもない人物です。

そんな瘴奸の出自は実は武士でした。

それなりに腕の立つ武士でしたが、瘴奸が次男ということと分け与えられるほどの領地がなくなってしまったことから、武将ではなく、一武士として兄に従えと言われてしまうんです。

目標を失った瘴奸は楠木正成の元で武功を上げようとしましたが、上手くいかず悪党の道に走ってしまったのでした。

時行に敗北

小笠原貞宗が西の国境で不穏な動きをしていると報告があり、時行たち逃若党が偵察に行くことになりました。

吹雪の策で襲ってきた瘴奸の軍を翻弄し、亜也子と孤次郎が瘴奸を時行が待つ小屋へと誘い込みました。

時行の作戦は瘴奸の手首(動脈)を斬り、逃げることで時間を稼ぎ出血多量で失神させる、というもの。そのあとでトドメを刺せばOKということですね。

瘴奸は時行が子供ということで甘く見ており、「手首を切ったぐらで」と侮っていました。

ところが逃げ上手な時行を捕まえることが出来ず、出血多量で意識を失いました。

小笠原貞宗の部下へ

時行たちは意識を失った瘴奸にトドメを刺していません。

諏訪の本軍から逃げる際、目の良い貞宗は「戦は野外でしているのに扉の内側に血?」という違和感を見逃しませんでした。

貞宗は瀕死の瘴奸を助け、自分に仕えることを命じます。

今回の戦での瘴奸の戦略眼は卓越していたことを買われたのです。

そして領地を与えられ、賊をやめて武士となるように命ぜられています。

瘴奸の最後は武士として死亡!

1335年に起こった中先代の乱で時行と瘴奸は再度戦うことになります。

吹雪と時行の2人で練習した技「二牙白刃(にがびゃくじん)」によって、瘴奸を翻弄し最後は時行の刀が瘴奸の喉を貫きました。

瘴奸は前回の戦いで闇に落ちていた心を時行に救われていました。

すっかり毒気が抜かれた瘴奸は、貞宗にもらった領地では善良な武士として民や子供たちから慕われていたのです。

時行に敗れ意識が遠のく際、「俺の心を救ってくれた少年が成長して俺を倒す なんと素晴らしい」と感じていました。

そして武士を育て、武士として戦い、武士として死ねたことに心残りは何一つない、と思っていたのですが、出征前に領地の子供に「必ず生きて帰ってね、約束だよ」と交わした言葉を思い出しました。

瘴奸の最後は「ああ 死にたくない」という声にならないセリフで死亡です。

管理人
管理人
今回は吹雪が瘴奸の首を取ったので確実に死亡です。

逃げ上手の若君:瘴奸の実在モデルは?

瘴奸は何度も名前を変えて生きてきたそうで、時行と出会ったときは瘴奸と名乗っていました。

実在モデルはいたのでしょうか。

瘴奸のモデルは平野将監(ひらのしょうげん)

中先代の乱で時行と対峙したとき、瘴奸は「我が名は平野将監」と名乗っていました。

【信濃国西豊科科庄地頭 平野将監入道】

と、紹介されていました。

生年は不明ですが、1333年鎌倉幕府末期、武士・悪党として実際に存在していたご本人となります。

ただ、実在した平野将監は中先代の乱の前には処刑して死亡しているため、時行とは戦っていません。

史実の平野将監は中先代の乱の前に死亡している

元の名前は平野重吉で、西園寺公宗の家人でしたが、大和河内、摂津のおよそ40人の悪党に加わったとあります。

その後、倒幕を目指す後醍醐天皇に呼応し楠木正成の配下に加わっています。

上赤坂城の戦いで後醍醐天皇方はほぼ全滅。助命や本領安堵を約され平野将監も降伏したのですが、破棄され敵方に引き渡され、京都の六条河原で処刑された、とあります。

  • 楠木正成の配下
  • 元・悪党
  • 鎌倉幕府(北条)に敗れた

上記が共通するところでしょうか。

瘴奸と名乗っていたのは読み間違えられたから

逃げ上手の若君の瘴奸は名前はいろいろ変えてきたと言っていました。

楠木正成の配下に加わったとき、将監(しょうげん)は「しょうかん」と読み間違えられていたのです。

その際、楠木正成から「我らは所詮挙兵したての名乗る価値もない雑魚だ。そなたが価値ある武士となり価値ある敵と対峙した時正しい名を堂々と名乗れば良い」と言われていました。

価値ある武士として、時行を価値ある敵と認めたから本名の平野将監を名乗ったのでしょう。

まとめ:逃げ上手の若君しょうかん(瘴奸)の最後は死亡?実在モデルについても

  • 瘴奸の最後は中先代の乱で時行に敗れて死亡
  • 瘴奸は元武士の子だったが領地をもらえず悪党となった
  • 小笠原貞宗に拾われ武士となり最後は武士として死ねた
  • 瘴奸の実在モデルは平野将監入道
  • 平野将監入道は中先代の乱の前には処刑されて死亡している

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