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逃げ上手の若君死亡キャラ一覧まとめ!順番や死因についても

逃げ上手の若君の舞台は鎌倉時代から南北朝時代で、とにかく命を懸けた領地の奪い合いです。

ということは、武将たちが登場しては死亡するという事態。

わかっているのは室町時代を切り開いた足利尊氏は無事ということぐらいです。

一体誰がどのように死亡していったのか、逃げ上手の若君の死亡キャラの死亡順と死因についてもまとめました。

逃げ上手の若君:死亡キャラ一覧まとめ!順番や死因も

逃げ上手の若君を読んでいると、知らなかった武将や応援したくなる武将が次から次へと登場します。

死亡キャラの数ざっと30名以上! キャラの中には出番が少なくて「誰だ?」という人物もいるのではないでしょうか。

北条邦時(ほうじょうくにとき)

足利尊氏の謀反によって逃亡してましたが、隠れ場所を五大院宗繁によって足利軍に売られてしまいます。

最後は手首を縛られ斬首されて死亡。

北条高時(ほうじょうたかとき)

鎌倉幕府滅亡とともに家臣郎党と寺に集まり自害

死の前に時行を頼重に託しました。

清子(きよこ)

清子は時行に言い寄って来ていた女の子で摂津親鑑の娘。

足利尊氏謀反の際に武士たちによって殺害されています。

清子の父親で鎌倉幕府の幕臣である摂津親鑑(せっつちかあき)は自害。

名越高家(なごえたかいえ)

足利尊氏謀反の際、弓で頭を射抜かれて死亡。

「なぜ裏切った たかっ」が最後の言葉となっています。

長崎円喜(ながさきえんき)

鎌倉幕府の側近で実権を握っていた1人。

幕府滅亡時に自害で死亡

長崎高資(ながさきたかすけ)

父の円喜同様に鎌倉幕府の甘い汁を吸っていた人。

同じく幕府滅亡時に自害で死亡です。

五大院宗繁(ごだいいんむねしげ)

五大院宗繁は時行の伯父になります。

時行の兄邦時を預かったものの、新田側に邦時の居場所を密告しています。

諏訪に逃げた時行を追い、また敵に売ろうとしましたが、逃若党と時行によって首を落とされ死亡です。

父・風間玄蕃(かざまげんば)

玄蕃の父親。

病?によって自宅と思われる場所で死亡。

現・玄蕃に技と名前、主義と狐面を渡して死亡しています。

和田米丸(わだよねまる)

清原信濃守の郎党。アンパンマンのような顔が特徴です。

川中島の戦いで孤次郎に斬られ死亡。

西園寺公宗(さいおんじきんむね)

帝暗殺計画を立てましたが、弟の密告によって失敗。

後醍醐天皇の側近によって捕らえられ、処刑されたのち領地は朝廷に没収されました。

瘴奸(しょうかん)

小笠原貞宗の郎党で元・悪党。

時行との2度目の戦いで再び一騎打ちになります。

吹雪との二牙百刃で喉を斬られ死亡。

清原信濃守(きよはらしなのかみ)

尊氏に踊らされ頼重軍との戦いで死亡。

城を戦車にしたような鉄壁な守りと攻撃を仕掛けたつもりでしたが、隙を突かれ黒曜石の破魔矢を撃たれます。

国司の内の悪しき神力を焼き払われたまらなくなった清原は、戦車から首を出してしまい保科によって斬られ死亡。

岩松四郎(いわまつしろう)

鎌倉奪還の際の上野国を守っていた猫好きの人。

猫を盾に時行軍を止めようとしましたが、5000人という大軍の前に成す術なく一蹴されています。

海野幸康(うみのゆきやす)

渋川義季との一騎打ちで死亡。

孫二郎が渋川の性格を利用し、一騎打ちに水を差すマネをします。

卑怯者を許さない渋川の怒りが頂点に達し太刀筋が見えずに斬られ死亡。

石塔範家(いしどうのりいえ)

亜也子との戦いで死亡。

理想の女性を語りながらの戦いで、郎党から脚と乗っていた馬を斬られ、亜也子が石塔を馬からひきず降ろし突き立てられた刀に自ら首を当てて死亡。

自害のような最後でした。

岩松経家(いわまつつねいえ)

女好きの岩松は諏訪軍の非戦闘の陣を襲います。

望月と雫、吹雪たちによる総攻撃で死亡。

渋川義季(しぶかわよしすえ)

孤次郎・時次との対決で挑発に乗ってしまい自慢の大刀を振り回し疲労が出てしまいます。

渋川は孤次郎と戦う前に海野とも戦っていますので、体力の限界が来ていました。

最後は渋川の蹴りの威力を利用した孤次郎の斬撃によって斬られて死亡です。

今川範満(いまがわのりみつ)

馬のお面?を被った男。

時行が今川を挑発し、その隙を吹雪が後ろから今川を攻撃。

吹雪の逆さ凶によって死亡しました。

小山秀朝(おやまひでとも)

望月重信に討ち取られ死亡。

中先代の乱で鎌倉軍を迎え討つものの敗北。

三浦時明の寝返りが大誤算だったと言えますね!

護良親王(もりよししんのう)

後醍醐天皇の息子で、いち早く足利尊氏の危険性を見抜いていました。

ところが帝は自分を支えた息子よりも尊氏のカリスマ性を信じてしまい、護良親王は逆に幽閉されてしまいます。

最後は淵辺義博によって処刑されています。

三浦時明(みうらときあき)

時行の鎌倉奪還に尽力した人。

高兄弟と敵対することになり、腕を斬られたのが致命傷になります。

弟を逃がし最後はおそらく失血死だと思われます。

今川頼国(いまがわよりくに)

今川範満の兄。

孤次郎・吹雪・亜也子の連携であっさり敗北しています。

中先代の乱で死亡。

高師冬(こうのもろふゆ)

高師直の猶子。

中先代の乱で死亡。その後足利軍に寝返った吹雪が高師冬と名乗っています。

諏方時継(すわときつぐ)

頼重とともに中先代の乱で死亡。

尊氏を背後から襲撃しましたが、尊氏に動きを読まれ斬られて死亡。

諏方頼重(すわよりしげ)

中先代の乱で死亡。

足利尊氏に敗れ戦の責任をとって死亡です。

最後は時行を守るために戦死した人たちとともに顔の皮を剥いで自害という壮絶な最後を遂げています。

楠木正成(くすのきまさしげ)

後醍醐天皇の忠義が仇となって死亡。

撤退を進言したものの阻まれ、敗戦を覚悟で尊氏に勝負を挑み敗北。

尊氏に斬られて死亡です。

淵辺義博(ふちのべよしひろ)

護良親王を処刑した人。

1337年、顕家と時行の軍で鎌倉に攻め込んだ戦で孤次郎に敗れて死亡

千種忠顕(ちくさただあき)

後醍醐天皇の側近。

楠木軍が敗れ、撤退する際に高師泰に首をはねられ死亡。

「帝の後ろはこの千種が護ります」と言った次のコマで消えました。

名和長年(なわながとし)

後醍醐天皇の側近。

楠木・新田軍を破った足利軍は京を襲撃しました。

戦いの中でおそらく高師奏の手によって殺されたと思われます。

管理人
管理人

名和長年と同じく後醍醐天皇の側近である結城親光の死亡は描かれていませんが史実では1336年の戦いで死亡しています。

斯波家長(しばいえなが)

北畠顕家と時行の連合軍との戦で死亡。

敗戦確定の場に家長が残り、最後は時行との一騎打ちでした。

北条家の宝刀「鬼丸」で喉を斬られ死亡です。

まとめ:逃げ上手の若君死亡キャラ一覧まとめ!順番や死因についても

逃げ上手の若君の死亡キャラをまとめました。

ほんのちょっとしか出ていないキャラから印象に残るキャラまで数多くの武士や公家が死亡しています。

これだけ忠義に命を懸けた武士たちがいたのだと思うと考えさせられるところもありますね。

家長なんて17歳で死亡ですからね。

逃げ上手の若君はまだ完結していませんので、まだまだ死亡キャラが増えて行くと思います。

随時更新できたらいいなと思っています。

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