逃げ上手の若君に登場する諏訪頼重は北条時行の保護者であり父親のような人物です。
鎌倉を奪還するため時行を擁立しました。
とはいえ時行は10歳の子供ですから、実際には頼重が指揮をとっていたことになります。
足利軍に敗れた頼重は戦の責任をとって1335年9月に自害という最後を遂げています。
諏訪頼重の乱が中先代の乱に代わってしまったのは何故か、頼重の死亡と諏訪頼重の乱についてもまとめました。
逃げ上手の若君:頼重は戦の責任をとって死亡!
逃げ上手の若君、諏訪頼重が中村悠一だったか。脳内では櫻井孝宏だったんだけどw pic.twitter.com/oljJVoeZza
— R・こばやし/dion軍 (@R_Kobayashi) April 4, 2024
諏訪頼重は逃げ上手の若君の1話から登場しており、時行にとっては父親同然の存在でしたので死亡シーンはとても悲しかったですね。
頼重は信濃国の神官
諏訪頼重は信濃国の神官で、日本に3人しかいない現人神の1人です。
神力で未来が見える頼重には2年後の未来に時行が天下を揺るがす英雄となると断言しています。
足利尊氏の謀反によって北条家が壊滅した際、頼重は高時から幼い時行を逃がすよう命じられ、時行を諏方に連れて匿いました。
頼重は時行に勝つことの全てを揃え、鎌倉を取り戻すために時行を育てていきます。
すべては北条家への忠義とのこと。
頼重が仕掛けた戦は敗北
頼重は時行を擁立してから、鎌倉を奪還できるように育ててきました。小笠原貞宗との小さな戦いもそのひとつです。
そして中先代の乱に続いていきます。
中先代の乱は大将が北条時行ですが、時行は10歳ですから実際には頼重が実権を握っている状態。
時行が初めて鎌倉を奪還したと思ったのも束の間で、たった20日で尊氏に奪い返され戦が続きます。
北条軍の必死の攻防で勝てるか、と思ったとき本陣から尊氏が登場。
頼重を上回る尊氏の強い後光によって、北条軍の多くは有利な状態であっても尊氏に降参することになったのでした。
神力で未来が見えなかった尊氏との戦い
頼重の神力を持ってしても中先代の乱の結果が見えなかったのは、それ以上に尊氏の神力が強かったから。
尊氏の力は逃若党の軍師である吹雪にも影響を与え、吹雪は足利方へ寝返ってしまいました。
吹雪が逃若党に合流したとき、頼重は「見えない時期」だったため吹雪の寝返りが読めていなかったのです。
すべての運・神力・すべての流れが足利尊氏に味方していたため、頼重は完敗を悟り尊氏に最後の戦いを挑むことになります。
頼重は時行を守って自害(死亡)
頼重には北条の幼子を担ぎ出した責任があります。
それ以上に我が子同然の時行に戦の責任は負わせたくないし、逃げ延びてほしいという気持ちがありました。
また、敗北が決定した頼重が「戦の首謀者」となることで諏訪家全体に乱の責任を負わせないために死ぬ必要があったのです。
頼重は勝長寿院で息子の時継や大名たちと一緒に自害することになります。
最後は雫に神力を継承し、北条家の宝刀「鬼丸」を時行に渡し時行たちを逃がしました。
頼重は皆の死を無駄にしないよう、戦で命を落とした骸を集め自害します。
すべての骸は顔の皮が剥がされ、誰が誰かわからない状態。
頼重の横には時行だと思わせる子供の死体を用意していたため、足利方の中では時行も死亡したということになっています。
最後の最後まで時行を守り通したのでした。
頼重が戦を仕掛けた理由は忠義
頼重が勝長寿院で自害するとき、盛高に「頼重の最後」を解説してもらっています。
「忠義に生き忠義に死んだ神がいる」それ以外にないとのこと。
諏訪頼重が戦を仕掛けた最大の理由は「凄絶な忠義」だったようです。
逃げ上手の若君:諏訪頼重の乱とは
諏訪頼重のお墓🪦
南北朝時代の方の諏訪頼重で、北条時行を奉じて中先代の乱を起こし、足利尊氏と戦った諏訪家の当主の方です✨
分かりやすく言うと、
「逃げ上手の若君」
のあの準主人公の諏訪頼重のお墓ですね!彼は北条時行を逃す為に鎌倉の勝長寿院で自身と家臣共々、顔の皮を剥いで自害します pic.twitter.com/7EgiDJ7vlm
— koji😈Cilvie (@sixx_0202) April 16, 2022
中先代の乱と言われる戦いは、本来は首謀者である諏方頼重の乱と言われる戦だったようです。
頼重が仕掛けた戦が諏訪頼重の乱
足利尊氏いわく、乱の首謀者が意思弱き傀儡だった場合、その乱には担ぎ出した者の名前がつくとのこと。
ですので今回の戦は幼子を担ぎ出した頼重が首謀者ですので「諏訪頼重の乱」と呼ばれるはずだったのです。
ところが、時行たちが頼重を助けにきたことで首謀者が変わってしまいました。
時行は尊氏に「この戦の主がこの戦の決まりを定める 時行を殺せば尊氏の勝ち 逃がせばすべてお前の負けとする」
そうやって足利軍を逃げ上手で翻弄し、頼重を救い出しました。
中先代の乱になってしまった
足利にとって時行は頼重と一緒に勝長寿院で自害して死亡したとなっています。
尊氏は頼重の死に様を最後まで鋭い策士だった。「諏訪頼重の乱」の主として未来まで名前を残すだろうと言います。
ところが戦が終わったあと、兵の中では「中先代の乱」に名前がすり替わっていたのでした。
- 戦の最後での頼重の救出劇が見事だった
- 天下の諏方明神が従うことだけある
- あの幼さで北条の意地を存分に見せた
などから敵ながらあっぱれ!と賞賛され、時行は「中先代」と言われるようになっていたのでした。
尊氏が「諏訪頼重の乱」を定着させようとしたようなところがありましたが、時行の戦ぶりにしてやられた感じ。
「お前の負けだ」がずっと尊氏に残ってるでしょうね。今後の展開も楽しみです。
まとめ:逃げ上手の若君の頼重は死亡する?諏訪頼重の乱についても
- 諏訪頼重は足利軍に戦を仕掛け完敗して自害(死亡)
- 諏訪家や時行を守るために勝長寿院で自害した
- 自害した骸はすべて顔の皮が剥がされており時行の死も偽装していた
- 尊氏が「諏訪頼重の乱」だと命名していたが、兵の間で時行に中先代とあだ名がつけられていた
- 諏訪頼重の乱は中先代の乱になっていた
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