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聲の形イジメ美化でありえない?再会して友達になれるのか考察!

映画聲の形の主人公石田将也は小学校時代にイジメをしていました。

聲の形はイジメを経験した石田が後悔や人間不信など、自殺まで考えた人生から立ち直り将来に向けて頑張る姿が描かれています。

ただ、その姿がまるでイジメを美化している、イジメた人と再会して友人になるなんてありえないという声が見られます。

イジメた人とイジメられた人が再会して友達になれるのかについて考察しました。

聲の形:イジメ美化でありえない?

そもそもイジメられてた人がイジメてた人を許すってありなのでしょうか。

硝子が石田にイジメられた内容

硝子は水門小学校に転校してから、石田翔也や植野、川井からイジメや嫌がらせを受けてきました。

石田の友人には島田や広瀬がいましたが、石田のイジメに対して「やりすぎ」という程度で、やめろと止めることはありません。

石田が硝子に対してイジメた内容は

  • 筆談ノートを池に投げる
  • 補聴器を無理やり取る
  • 補聴器を遠くに投げる
  • 水をかける
  • 後ろから大声で驚かす

また、母親から学校に対するクレームは、硝子の補聴器が8つも壊されたり紛失しているということでしたので、いじめが執拗だったことが窺えます。

また、石田以外の植野や川井も、硝子と友達になって佐原さんを不登校に追いやったり、わざと恥をかかせるように仕向けたりというような、他の人には気づかれないようにイジメをしていました。

石田を許し好きになる硝子

高校生になって石田が硝子に謝罪と池に落とした筆談ノートを持ってやってきました。

その際、石田は手話を覚えてきており、硝子と意思疎通が出来るようになっています。

石田を見たときには驚いて逃げだしてしまった硝子は石田の手話を見ると、すっかり気を許してしまうのです。

そして「忘れ物」として差し出された筆談ノートは、当時の友達になりたい気持ちと頑張っていた自分を思い出すアイテムです。

もちろん「イジメ」の数々も思い出すはずですが、元々石田たちと友達になりたかった硝子にとって気持ちが通じた瞬間だったのかもしれません。

そして硝子にとって大切な友達となった石田はやがて硝子にとって好きな人になっていきます。

とはいえ、石田自身まさか硝子が自分を好きになるなんてありえないと思っていますから、硝子の告白や気持ちには全く気づいていません。

石田と島田との距離は埋まらず

硝子のイジメが明るみに出たとき、硝子をイジメてたのは石田だと認定されました。

島田や広瀬は「やりすぎだと言った」と言って、石田を庇うこともしませんでした。

そして、次は石田がイジメに遭う番になってしまうのです。「自分がやったことは自分に返ってくる」ですが、硝子と同じようなイジメと、机にはひどい落書きがされていました。

このいじめがきっかけで石田は人間不信に陥り、人の顔をまともに見れなくなり会話も避けるようになっています。

高校生になって石田はクラスの長束くんや硝子と友達になりますが、再会した島田との距離は縮まることはありませんでした。

聲の形はイジメを美化してるように見える?

石田目線で描かれたストーリーは、イジメを受けた硝子の心の傷はまるでなかったかのように石田を受け入れています。

そして島田と距離が埋まらないままの石田の心情や、立ち直っていく姿に思わず石田を応援したくなるのです。

そもそも、石田の場合イジメをした側から受ける側になったため、反省することになりましたが、島田にイジメられていなければ反省などしていなかったのではないでしょうか。

イジメをした石田が立ち直る姿はまるでイジメが美化されたかのように思えてしまいます。

西宮まで石田の立ち直りに自分の存在が邪魔だと思ってしまっているので、「イジメをした」という事実が消えてしまったかのようです。

そもそも、手話を覚えて謝ってきたからと言って、許して友達になるなんて都合良すぎなんですよね。

石田の心情が描かれてるだけで美化されていない

石田が立ち直る姿を応援することで、まるでイジメを美化しているかのように思えますが、石田自身が苦しんできたシーンがありますので、美化されているわけではなさそうです。

自分が補聴器を壊したせいで母親が弁償した姿に心を痛めたり、イジメられる側になって人間不信に陥ったり、自殺まで考えたり。

イジメを受けて立ち直る作品より、イジメた側の心情や成長が描かれている作品を見る機会があまりないため、応援する気持ちが美化してると思われるのかもしれません。

イジメた側を応援するなんて本来ではありえないことですから。

聲の形:イジメた人と再会して友達になれるのか考察!

個人的に小学生時代とはいえ、自分をイジメてた人とは近づきたくないですね。

イジメた人と友達にはなれない

聲の形はイジメた石田とイジメられた西宮が和解して、前向きに生きようとしています。

自分に置き換えてみると、小学6年生とは言っても心の傷は残っていると思います。

イジメた側の人間とは再会したくないし、謝って来られても迷惑なだけ。

自分の反省を押し付けてスッキリしたいだけに思えるでしょう。

いつまたイジメられるかもしれないという怖さが根底に残ってる場合、イジメた人とは何年経っても友達になれないと思います。

最終的には植野とも和解がありえない

西宮は最終的に植野とも和解しています。

植野は小学生時代に、西宮に良くしてくれた佐原さんを追い出していますし、硝子にも嫌がらせをしてきました。

そのうえ、高校生になっても補聴器を取ったりして「昔みたいに遊ぼうよ」と言い全く反省していません。

観覧車では「私を理解しようとしていなかった」と硝子を批判し、反論できない硝子に言いたい放題。

そして石田が硝子を助けて川に落ちたときには、怒り狂って暴力を振るっています。

それなのに物語のラストではお互いを理解したかのように、まだ一緒にいるんです。

過去と現在を見て、植野と友達になるなんてありえないですね。美化していると言われても仕方ないかも。

好きになるなんてさらにありえない!

西宮は自分に良くしてくれる石田を好きになってしまい、ついには「好き」と告白してしまいます。

石田からすると、西宮が自分に好意を寄せるなんて思ってもないだろうから「月」に聞こえてしまいました。

と、石田本人も西宮が自分を恋愛感情で好きになるとは思っていないと思われます。

まだまだ石田は罪を償っている状態ですから。

耳に傷が残るほどのイジメをしてきた相手を好きになるなんてありえないです。

傷を見るたびに当時の辛かった思い出が蘇ると思うのですが、底なしの優しさを持つ硝子は違うのでしょうね。

まとめ:聲の形イジメ美化でありえない?再会して友達になれるのか考察!

イジメる側だった石田がイジメられる側になり、イジメた事実に対する後悔や申し訳ない気持ち、人間不信などから立ち直る姿が、イジメを美化しているかのように見える。

また、イジメた張本人石田が手話を覚えて謝罪し、西宮が受け入れて友達になるという設定がありえない。

個人によって捉え方が違ってきますが、イジメられる側だった人、イジメられそうだった人が持つ当時の恐怖から、西宮と石田が和解して友達になるなんてありえないと感じます。

そのうえ、イジメた張本人を好きになるということも考えられないし、立ち直る姿を応援するなんて当人からしたらどうでもいいし、関わりたくないと思うのが現実的なところだと思います。

ですので、石田がいくら後悔していようが、自分が硝子の立場だったら石田を許さないし、友達にもならない=ありえない、イジメる人を美化しないでという感情が湧いてくるのではないでしょうか。

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